link-55’s blog

様々な出来事や感じた事を書きます!!想いを文字に…

My whim!NO.1

インターネットという物が欠かせない存在になった今時、

日々の出来事や感じた事、様々な事をインターネットを通じて発信し合っている。

そんな人々の具体的な出来事や感じ方を見て自分も、経験したい!楽しそう!等等…


何気なく触っているPCやスマートフォンで手軽に新しい発見や興味を探る事ができる、自分で足を運ばずとも、他人の経験や感じた事を画像や文字を交えてインターネットにのせている事で、見る人が自らの観点で想像を膨らませ行動する事ができる…

とても便利で有効的。なんとも素晴らしい。


話は全く別物に変わりますが、

人には互いが互いを理解し合うという事が難しい、又は出来ない場合も多々あると思いませんか?

勿論、逆もあるので一概にとは言えません。

私はそう感じている。

なぜそう思うかは単純に、

普段身の周りでそう感じる事があるからだろう。

例えば→(会社にいる時、友人と一緒にいる時、恋人といる時、他にもテレビを見ている時、電車等の交通機関やレストラン等で他人の会話を聞いた時、)

色々な場面で同じ様に感じた事のある人は少なくはないのではないだろうか…


そんな世の中を観ていてふと思った事があるあまりに単純で当たり前とも言えるような事ではあるが、


"自分自身の人生で会話を交えたり少しでもお互いを知る、そう言う意味での"出会える人数は多くはない"

という事。


ですが、

私は出会えた人達の中で幸運にも、そこに居たい、身内とも互いに思い合っている輪というモノを築きあげる事が出来た。それこそ何年も何年も時間をかけてではあるが、、

そこ(輪)では沢山の思い出や出来事、本当に様々な事を共に経験してきた、私にとってかけがえのない人達だ。

楽しみや苦しみは勿論、嬉しさや悲しさ、

命の尊さという事でさえ共に経験をした。

物心着いた時から数えて1から10まで共に過ごした人達とでさえ、理解できない時がある。だから私はそう感じるのだろう。


世の中に人は何人いるか。

正確に言うなら世の中に自分の意見、思考、感覚等を理解し合える人が何人いるのだろうか

これもまた全てを理解すると言う意味ではない。

一つ一つの観点において。そういう意味で。


出会える人に限界があるならば、

知らない事が無いくらいの仲でも理解し合えない事があるならば、

なぜ相手の思考がわからないのか、なぜ自分の思考は相手に伝わらないのか、

その気持ちはどうすればいいか。

この様に感じた経験はないだろうか、

あてようのないモヤモヤ感

人と違う事で"ズレ"を感じてしまう事や

自分がおかしいのかと感じる瞬間

『誰か共感できる人はいないものか』等と思う時が私にはある。

身の周りの誰もが自分と同じ様な感受性を持っている、

そんなはずもない事は分かりきっている。

考え方は理解できる、だが感じ方は違う感じ方をする。又はその逆であったりと。

言葉一つ、行動一つ見て聞いて感じる答えという物はまさに"十人十色"であろう。


そんな時にインターネットほど様々な方と繋がる事ができ、自分と同じような境遇の人を探す手段はこの上ないのではないだろうか。

例えば10人中10人がわからないと言った事でも、100人1000人と数が増えれば答えも増えるのでしょう。

同じように感じてる人を見つける事で、少しでも心が救われる想いを感じる事というのはあると思う。


"普通"とはなんだろうか…

何気ない会話の中によく目にする言葉ではあるが、私はこれを難しいと感じる。

つい先日"普通"と言う言葉でズレを強く感じてしまった。

大事な関係になればなるほど相手の普通と自分の普通のズレを感じてしまい、正直ストレスも感じた。

異性との事である。

自分にとっては普通ではない事が相手にとっては普通だった時、どうすれば良いのか…

素直に合わせられる事ならば合わせたい。

普通とはその人が普段何も気にせず勝手にやっている事と言っても過言ではない事だとしたら、

相手からして普通じゃないと感じてる事にすら気づいていない、自分も気づけない場合があるのではないか。

そもそも普通の基準が人によって違うのなら共有するのは難しい事であろう

とくに異性との関係では尚更難しく感じてしまう。

相手に合わせようとしても普通の事をしているときにそれがその時普通じゃないと気づけない。

悪気はないが相手にはそれが不快に感じる事もある。

それが例えば言葉遣いだったり捉え方だったりと…

お互いの普通の基準のズレが些細なストレスとなりやがて大きな感情を生む、それらが衝突する事で揉め事等があるのだろう。

そう考えるとすると、揉め事というのは避けられない事なのかもしれない。


ここでまた一つ思った事があった。

"揉め事"というのはどうしても少しマイナスなイメージになってしまう、それは仕方のない事。

だが、揉めた事を教訓に次に生かす事ができるのならばそれはマイナス要素からプラス要素へと変わると思う。

口で言うほど簡単な事ではない、冷静な時に考えればわかることも感情が溢れてる時や乱れている時、

勢い余ってしまう事も多々あり得る事だと私は思うからである。

もしそれが壁と例えるならその壁を曖昧にせず超えられる関係は素敵だなと感じる、

より強く、あたたかい絆が生まれていくのだろう。極論冷静さを保つ事は想いが大きい程に難しく、

『感情とは難しいモノだな』と再度痛感した。


そんなこんなで私のwhim(気まぐれ)第1号

でした。